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オジャス

私が最初にミラのトレーニングを受けたのは、2005年でした。それ以来2017年まで、私はインド、スペイン、イタリアでのミラのアシスタントチームのレギュラーメンバーでした。現在は、たくさんのクリエイティブなプロセスをリードしています。

遊びやダンスの中に気づきを見つけたり、自発性のエネルギーを、絵を描くという行為の中に持ち込むことが楽しいのです。私はスターサファイヤの男性・女性エネルギーワークのトレーニングを履修し、アートを通して人々が男性・女性エネルギーを表現する手助けをするのがとても好きなのです。

私が情熱を抱くものがもう一つあります。それは、ストーリーのクリエイティブな語りです。過去5年間にわたり、私は世界的に有名な、ケープクリアー島の国際ストーリーテリング・フェスティバルのコ・ディレクターをしてきており、現在もアイルランドのふたつのストーリーテリングのグループ(What’s the story?とStory O)に所属しています。

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ヘナ(高橋和子)

プネーでミラのペインティングトレーニングに初めて参加したのは1994年でした。以来ヘルパー、アシスタント、コ・ファシリテーターとして長い間ミラのグループに関わり絵を描いてきました。

ミラとの出会いは私の画風を一変させました。そして絵だけでなくミラの存在そのものが私の人生に大きな影響を与え、それは強烈な印象を残したままいまも輝き続けています。

現在、地元山形をはじめ県内外で個展、グループ展を開催し、自画像を主としたワークショップを提供しています。

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小松バヴェン

武蔵野美術大学卒業後、パフォーマンスアートやフォルムアートなど現代美術の分野で活動。今思うと当時私が目指していたのは、見る人が日常とは違ったかたちで世界を体験、認識し内にある創造性を表現すること。そための映像、状況、空間装置を作りだす。そんなようなことだったと感じている。

その後1981年にOSHOのサニヤシンとなり、創作活動をやめる。

1990年代の始め、ミラのトレーニングに参加。そこではかつて自分が思い描いていたようなことが違ったかたちで、より大きく、深いレベルで起きていることを目の当たりにする。それ以降ミラのヘルパー、アシスタントを務め、しばらくしてミラからトレーニングの中でネイチャーペインティングと書道のパートをサポートするように言われる。

その後、OSHOマルチバーシティにおいてネイチャーペインティングと瞑想を融合させたペインティンググループを創案。

日本でも長年ミラのワークをサポートしている。

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サハジャ

私が最初にミラのトレーニングを受けたのは、2011年でした。それ以来、スペイン、イタリア、スウェーデンそれにインドでミラをアシストしてきました。

フィレンツェのアカデミー・オブ・ファイン・アートの絵画科を、そして同じくフィレンツェのISIAのデザイン科を卒業しました。共同学習に関する研究で修士の学位を取り、ニューヨーク、ロンドン、ミネアポリス、マヨルカ島のパルマで暮らし、学び、働いてきました。

現在は、グラフィックデザインと写真の教師であり、イタリアにおける若い才能を発掘するプロジェクトを企画しています。

2000年以来単独でもグループでも展覧会を開催してきましたが、だんだんと公式な現代美術のシステムに不満を感じるようになり、ついにやめてしまいました。私から見ると、そこは競争的で、アーティストはひとにおもねり、偽物のスタイルの背後に隠れているように見えました。私自身もそこで、自分の自発性を失ってしまうところまで来ました。

ミラとはふとしたことで出会ったのですが、それは私にとって決定的なものでした。そして彼女の教えていることの中に自分に欠けていたものを発見しました。それは瞑想でした。それは私の生活とアートにとって完全な革命でした。私はサニヤスを取り、OSHOと出会いました。

私にとっては、ひとりひとりがみなアーティストであり、そこに真正さと表現の喜びが存在する限り、アーティストとノン・アーティストの間に何の違いもありません。私はグループでワークをし、人々がクリエイティブな表現を広げていくことをサポートをし、自分の経験と変容をシェアするのが好きです。

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キクト・カントゥー

私は日本で生まれましたが現在はノルウェーに住んでいます。大学では法律と子供の福祉を学びましたが、たちどころに気が付いたことは、子どもたちに教えることは何もないし、逆に子供たちから学ぶことはたくさんあるのだということでした。

私は自分のキャリアを捨て、人生におけるより深い満足を探し始めました。そして2000年にオショーに出会います。その時期にミラに出会い、彼女の教えがどのように人々のクリエイティビティを開くことができるのかということに感銘を受けました。私はミラのペインティングのトレーニングを、インドとヨーロッパで10年以上にわたりアシストしてきました。

私は、オショーのさまざまな瞑想とセラピーテクニックの訓練を受けてきました。その中にはグルジェフ・ムーブメント、ARUNコンシャス・タッチ、ファミリーコンステレーション(家族の座)があります。

私は子供たちと親たちとワークし、体、ハート、マインドを使ってクリエイティブな表現を探求するのが大好きです。

ほかにも、料理、ダンス、陶芸が大好きです。

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タティーナ

私の内面の旅は、二度の癌の経験と、妹の死のあとに始まりました。それをきっかけとして、内側の探求と瞑想を始めました。

2009年に日本で初めてミラに出会い、その後インドでミラのOSHOアートセラピストトレーニングに参加しました。それ以来、インドと日本でミラのコースをアシストしてきました。

ミラは私にたくさんのギフトをくれましたが、そのうちの一つは、2017年の最終日にミラが私に語ってくれたことです。「あなたの表現は、絵を描くことです。何も話さなくても、あなたの沈黙と絵を描いている姿を通して、人々はあなたから何かを感じて、学ぶわ」

私は、日本伝統フェイシャル・マッサージである古美道(KOBIDO®)を提供しています。

ペインティングを通して『待つ』ことと『起こる』ことを学んでいます。

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チャンドラ

私が最初にミラとワークをしたのが2008年で、2009年にはミラのトレーニングを受けました。それ以来、プネーとトルコで彼女を何度もアシストし、ミラの著書「瞑想アート」のトルコ語への翻訳もしました。

私はニューヨークのアルフレッド大学で絵画を専攻し、卒業後にいくつかの雑誌の写真家として働きました。しかし何年にもわたって、私は怖くて描くことができませんでした。それは自分の絵画についての経歴のあるところで、喜びと自発性を失っていたからです。絵画の教育の中でテクニックに対する知識を身に着け、非常に批判的な目を発達させてきたので、それがほとんど私を麻痺させてしまっていました。

ミラとともに絵を描くことで、私は、絵画だけでなく、ダンスや遊び、それに遊び心を通して人々とつながることに関しても、自発性と、無邪気さ、喜びを再び手に入れることができました。クリエイティブなエネルギーがどれほど私たちの生命エネルギーに近いものかということを理解するようになりました。そして多くの人たちが、クリエイティビティに開く準備ができたとき、生きることにも開いていくのを目撃してきました。

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ソーニャ・マクリ

私はイタリア北部の小さな山沿いの村で生まれました。そしてそれ以来いつでも探求する人間でした。しかし自分が何を探求しているのか、オショーに出会うまではわかりませんでした。オショーは外側に探すのではなく、内側を探しなさいと教えてくれました。

私はOSHOミアスト瞑想センターで瞑想ファシリテーターとしての訓練を受け、瞑想を人々とシェアするのが大好きです。瞑想のグループをファシリテートすることが、私たちの母なる地球の意識レベルを上げるために私できる貢献です。

OSHOミアストでミラにも出会いました。そしてその出会いが、私の人生を永久に変えてしまいました。ミラの助けにより、私はたくさんの古い恐怖に直面しました。ミラのアートセラピーと瞑想のトレーニングを、イタリアとスペインで受け、そのあとそのアシストもしてきました。

ミラは私に「私はあなたに自分のワークをシェアできてうれしいわ。あなたはこのワークをほかの人たちにシェアするのに、間違いなく自分なりの方法を見つけると思うわ」

現在このワークをシェアする私の方法は、瞑想のグループをシェアするとともに、子どもと親のためのプライマル・ペインティングコースをシェアすることです。また私はドゥーラ(出産に関するアドバイスやサポートをする女性)としても働いていて、特に妊娠中の女性のために瞑想とクリエイティビティのグループをデザインしています。

私はイタリアのヴァリーズの近くに住んでいて、自分のジプシー魂をサポートするためにどきどき旅にも出ます。

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アナンド

子供時代からずっと体が弱かったので、若くして代替医療を学ぶようになりそれが個人として探求する道への出発点になりました。OSHOのアクティブ瞑想やボディとマインドに働きかけるさまざまなセラピー的アプローチを発見しました。日本では、伊藤テルミー、指圧、それに操体法を学びました。

インドのOSHOインターナショナル瞑想リゾートでは、ホリスティック・マッサージ、コア・インテグレーションを学び、瞑想的セラピーのファシリテーターになりました。1998年以来、OSHOマスターペインティングとOSHOアートセラピートレーニングでミラのもとでトレーニングを受け、ミラのアシスタントチームの一員になりました。

ボディとマインドは一体であること、そしてアートは私たちの内なる本質への橋掛けであるとのビジョンからワークをしています。アートは私たちに生きる喜びを発見する手助けをしてくれます。私が提供するすべてのアプローチを通して、私んの助けを求める人は生命力に再びつながることができます。再生は可能であり、生きることはジューシーで、楽しく、そして美しさに満ちているものとして姿を現します!

 
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プレムラジ

ミラが体を離れる前に、ノーマインド・ペインティングというタイトルでペインティングのグループを行うように私に言いました。現在、これは私の公案になっていて、OSHOの愛したミラへの私の深い感謝を示す方法となっています。

私は1979年、17歳のときに家を出てOSHOのもとに行きました。OSHOがアメリカのオレゴン州に向かったとき、私はオランダにあるラジニーシ・セラピー・インスティチュートでヴィレッシュとスッダとともに生活し始め、のちにはサントッシュのデ・ヒプノセラピー・インスティチュートで彼とともに暮らし始めました。オレゴンのOSHOのコミューンの一員としてほぼ一年を過ごした後、1984年に私はインドに戻り、そこで暮らしながらゴーエンカのもとでヴィパサナ瞑想に打ち込みました。1987年OSHOがプネーに戻ると、私はこの瞑想を続けながら、宝石づくりの技術を学び、それでOSHOが体を離れるまでプネーに滞在することができました。それに続く4年間は、私はプンジャジのもとにとどまり、せっけん石とアラバスターを使った彫刻を始め、のちにそれはガラス彫刻へと発展しました。2001年、ラーマナのアシュラムで1年間沈黙を守ったときに、絵を描き始めました。このことからプネーに再びもどり、ミラに出会いました。それは、私のクリエイティビティを解き放つことができるのは、ミラだけだと感じたからでした。

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トーショー

私は京都大学の哲学科を卒業し、1981年にOSHOの弟子になりました。そして90年代の初期にミラとミラのアートに出会いました。彼女の絵と彼女そのものに強く感銘を受けました。この25年の間、何度もミラのトレーニングの一員として働き、最近はOSHOアートセラピストトレーニングをアシストしたり、その一部をリードする機会がありました。

私は長年にわたり、キネシオロジー、サトルボディヒーリング・ハートを通したカウンセリング(ELC)をプロフェッショナルとして行ってきていますが、それに加えて、ミラの教えに沿ったペインティングのコースもリードし始めています。ミラの認定教師の一人として、現在はスペインとプネーで瞑想的ペインティングのコースをコ・リードしています。